2011年3月14日月曜日

東北地方太平洋沖地震に思うこと

大変な地震が太平洋側を中心に起きました。テレビ、インターネット、ラジオから流れてくる情報は、その全てが今回の震災に関することばかりです。

目をそらしたい、できれば見たくない、まさに地獄のような映像が流れていますが、見ないわけにはいきません。それは同じ国で営みをする人間として少しでもその切なさや苦しみや痛みや悲しみといったどうしようもなさを、わずかながらでも分かち合い、共有しようとする気持ちからなのでしょうか。

マグニチュード9.0という観測史上最大の大地震に多くの犠牲が払われました。家族が目の前で津波にさらわれた方もたくさんいると報道で知りました。そんなことがあっていいのか、この世界には神様はいないのか、自然大きなチカラを目の前に、私たちはどうすることもできないのか、そんなことを考えました。

さらに近年普及したインターネットによる情報の発信は大きな力を発揮していますが、一方で、政府や電力会社、マスコミの報道に対しての「ネット評論家」が多く現れました。心無いデマや浅はかなチェーンメールが情報を混乱させました。私たちが創り上げた知的世界や知恵の良かったところ、見直したほうがいいところがはっきりと浮き出ました。

今回の大津波は海から3Kmほど海水が流れてきたとのことですが、地震の発生から津波の到着まで10分弱。これがもし、日本海側で起きて直江津の海からそうした津波がやってきたら「りとるの家」もどうなっていたか分かりません。そういう意味では、今回の震災は本当に、他人事ではありません。

それでも離れ離れになっていた家族や仲間が再会できた場面を目にしたり、避難所で出産して新しい命が誕生したというニュースに熱いものがこみあげて、そこにかすかな希望を見出すことができています。

震災の時の障害のある方の支援について、至る所で講演をさせていただきました。しかし、今回の震災は自分の経験を超えた大きな震災です。その規模は想像を絶し、これまでの経験から導き出された知恵があまりにも無力であることを痛感しました。

人が自然と共に生きるとは、そこを乗り越えて、ある時は破壊をして豊かさや便利さを享受するとはどういうことなのかを考えました。

今日の上越は快晴です。日常が動いています。普通に出勤をし、普通に仕事をし、お腹が減れば食べるし、眠くなったら寝ます。生きているルーチンとはこんなものなのですが、そこに人間関係に悩み、できない仕事の質や量に悩み、価値観のぶつかり合いで悩み、お金のことで悩みます。

でもそこからわずか数百キロ離れた場所で、たくさんの命がなくなり、家族と離れ離れになり、電気もガスも水も食料も情報もない人びとがたくさんいます。

だとしたときに、私たち日常を生きている人びとは、被災者のために何かをするべきだろうと思うのです。何をすべきかは、個々の価値観や得意分野で変わるでしょう。僕も、自分の立場や法人で何か動くべきだとは思っています。

いずれにしろ、日常を享受している私たちが、出し惜しみをせず、同じ国に住まい、営みを共にしている人として行動を起こすべきだと思うのです。

うまく、うまくまとまりませんが、今、そんな風に思うのです。

また、書きます。