2011年3月16日水曜日

ちょっと、我慢すればいいだけの話でしょう。

一日、計画停電のことについて色々と動いた日でした。

結局、今日予定されていた計画停電は実施せず。節電の効果があり、停電をするほどのことはなかった模様。

明日、17日に予定されている計画停電もどうやら今のところなさそう。明日は養護学校が休校になったので、朝から日中一時の事業所や行動援護・移動支援が稼働しています。

今回の震災、死者・行方不明者が一万人を越えている状況なので、ちょっとみんなが我慢することで保たれるものがあるのならば、当然、引き受けるべき負担だと思っています。

報道によっては「予定より10分停電が早かった」と怒り出す市民や「停電だから閉店をしたのに結局停電はなかったから商売にならない」と不満を漏らすご商売をされている方の記事が。

いつから、私たちはこんなに偏狭なメンタリティーを持つようになったのでしょうか。ほんのわずかな負担も「大きな負担」と感じるような脆さ。いつもと同じ日常が流れていないと、そこが崩れると責任者探しをする愚かさ。命をかけている人が、今、この瞬間も生命を捧げるような気持ちで何かに向き合っているこの尊さや、その重みを感じられない鈍感さ。

ここ数年、自分の仕事においても感じていた居心地の悪い日常的な違和感が、今回の震災で顕著にあったように感じています。

おそらく、それは何かを供給する人のチカラや能力には限界があり、それを許容しながらもある程度の営みができることに対しての幸せを感じる気持ちの欠落なんだろうと思います。

コンビニの灯りがいつもより落としてあるからと言って何か不便があったか?

流通の関係でスーパーの棚から油揚げが消えたから、あなたの食卓は崩壊するのか?

たかが3時間の停電で、この世の全てが終わるのか?

ちょっと、我慢すればいいだけの話でしょう。1時間早く停電がはじまろうが、一時間遅く停電が終わろうが、それごときの負担に耐えられないメンタリティーのほうが、よっぽど、深刻です。